悟りの体験

悟りの体験(2024.03.01)

2024年3月1日

悟りの体験(アートマ・サクシャッカーラ)

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ナマステ
シュリ・アンマ・バガヴァン・シャラナム 🙏🏻

私にとって悟りの道の旅は、実験のようなものです。
それは科学的であると同時に哲学的実験でもあり、定量化できるものは科学のレンズで観察され、定量化できないものは自分の中に呼び起こされた感情のレンズで観察されます。
最初のころは、私は教えを守り続け、習慣化し、それに従うことをルールとしていました。
その習慣が強迫観念となり、私の人生はイデオロギーとファンダの大きな塊になってしまいました。
その結果、フラストレーションを感じるようになりました。
親愛なる主の恩寵のおかげにより、教えは私の中に根付き始め、そこから成長していきました。

今は、教えを理解しようと焦ることも、状況を結論づけようと焦ることもなく、物事はただ流れていて、私は過ぎ去る体験の波に漂う船なのです。
意識が大海だとすれば、その時「私」は、プレッシャー、恐れ、暗さ、不安のだらけの、海の最も深い暗黒の領域にいたいのか、それとも、エネルギー、光、内なる平安、喜びのある、同じ海を上空から眺めたいのか、選択する選択肢を持つ物体なのです。
乱気流がある水域を体験するか、穏やかな水域を体験するかは、私次第でした。
現在、体験することは私にとって楽なことであり、私は体験する者です。それと同時に、体験する人がおらず、体験することが何もない瞬間もありました。

関係性を維持するための努力は何ら必要なく、関係性は自動的に出来上がっていきます。
自分自身に安らぎを感じ、自分を他人の中に、他人を自分の中に見ています。
誰かに会うと、それは変わった人であり、同じ人はもう存在しません。
関係性に与えられた表面的なレッテルはもう存在せず、それらは剥がれ落ち、残るのはただ2つの身体間の相互作用であり、この相互作用の体験は、執着することなく、自分の本質に従って展開されていきます。
その瞬間を生きることができます。
体験は純粋な静けさであり、時には純粋な静寂であり、時には感謝と至福に満ちているのです。

シュリ・アンマ・バガヴァンの蓮華の御み足にて絶大なる感謝を捧げます。


ヴィジャイ・R・ブタダ
ハリヤナ州グルグラム在住

(訳者:菅)

本日の写真

体験の朗読

悟りの体験(ア-トマ・サクシャッカ-ラ)

https://stand.fm/episodes/65e17f5c45ed59901af98e34

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