悟りの体験

悟りの体験(2024.11.17)

2024年11月17日

悟りの体験(アートマ・サクシャッカーラ)

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親愛なる最愛のシュリ・アンマ バガヴァン、
私の世界を導く力、導く光でいてくださりありがとうございます。私の人生におけるあなたのプレゼンスは、私を永遠に変えました。あなたは私がかつて夢見た以上の祝福を与えてくださり、あなたが私のハートに入って以来、私の人生は奇跡で満たされています。

私は何年もワンネスの一員でしたが、81,000ディクシャ・ヤグニャを始める前は、あらゆることで苦しんでいました。他の人がすることを、まるで私を傷つけるためにしているかのように受け止めていました。実際、すべてのことを個人的なこととして受け止めていました--他人の振る舞いや、自分が感謝されていると感じられなかったこと、私はもはやそれらを感じてはいないので、自分の痛みを言葉にするのが難しいと感じています。怒りや傷を感じる引き金になることは、今ではめったに起こりません。それが起こったときは、鏡に映った自分の姿をとらえるように、自分自身が反応するのを見ています。すると、そのチャージはすぐに消え去り、その代わりに楽しさが残ることもあります。

私の人生は大きく変わり、すべての関係性は楽になりました。3人の娘たちとの間に不和はありません。私の人生に娘たちがいることに愛と感謝だけを感じ、娘たちがあるべき振る舞いをすることを期待するようなことももうありません。義理の息子たちも同様に、私の目には完璧に映っています。 以前私がしていたことと違っていたとしても、彼らがすることはすべて突然、良いこと、正しいことになります。私が物事や人々にそうであるべきだと考えていたことを振り返ってみると、それは愚かな夢物語のように思えてきます。たくさんのストレスと期待は、何の意味もないことでした。拒絶されることを恐れて助けを求めなかったのは自分なのに、助けてくれないと人を恨んだことを覚えています。今では、何かが必要だと言うことはとても簡単です。「助けてくれますか?」返ってくる答えはいつも「イエス」です。夫との関係は愛情で満たされ、長年抱えていた恨みは空っぽになりました。私たちはお互いがありのままの自分でいることを許し合っています(実のところ、夫はいつも私がありのままの自分でいることを許してくれていました、夫に変わってほしいという期待で彼を苦しめていたのは私の方でした)。

ジャッジする気持ちもなくなりました。誰か他の人が、人や状況を批判しているのを聞くと、私は実際に傷つきます。その人の擁護に走りたくなるのですが、そんなことをする必要さえないことに気づきました。私はその批判した誰かを批判することなく、その状況をありのままに受け入れることができます。以前は、人の否定的な言葉を見つけることに喜びを感じていました。あたかもその人のおかげで自分が優れた人間になれたかのように--あなたが私のハートに入って来られてからは、これもまたまるで他人の人生を夢に見ているようです。今は人々の良いところだけを見ていたい。人は良いところを見つけようとするなら、良いところを見せてくれるものと今はわかります。

私が苦しみがほとんどないと言いましたのは、ほんの一瞬の苦しみはあるという意味です。背骨の痛みが再発しても、将来についての不安でパニックなることはもうありません。「働けなくなったらどうしましょう。手術が必要になったらどうしましょう。どうやって何もかもを片付けたら良いのでしょう?」そんなことをくよくよ考えていたものです。今は何の抵抗をすることもなく、自分自身に痛みを感じさせています。私はアンマに祈り、アンマが私の背中のケアをしてくれると知っています。私は自分の役割を果たし、あとはアンマバガヴァンがやってくれます。肩に心配の重荷を負わなくてすむというのは、なんと楽なことでしょう。
子供の病気など、家族のことで自分が苦しんでいると感じたら、マインドから一歩引いて、自分自身を見ています。すぐに苦しみは消えていきます。アンマ バガヴァンと大いなる慈悲の光への祈りがその代わりに入ってきます。もし私がその状況にプラスに働きかける方法があるならば、それはすぐに私に浮かんできます。彼らに食べ物は必要ですか?送迎は?ベビーシッター?これらは、以前私がしていた心配やコントロールとは違う、私にできる助けです。私は今でも皆の健康と幸福を心配していますが、その瞬間に否定的な見通しや意見を加えるようなことはしていません。

私は過去に、極度の罪悪感を引き起こすような状況に陥ったことがあります。私の身体とマインドはそのことで病んでいました。どんなに祈っても、自分のしたことに対して自分を罰することをやめられませんでした。誰も知らないことですが、罪の意識は毎日私を切り裂きました。一時は死ぬことを確信しました、死ぬことで安心したかったのかもしれません。他人を許すことは簡単でしたが、自分を許すことは不可能でした。

親愛なるシュリ・アンマバガヴァン、あなたは、あるプロセスですべての罪悪感と悲しみを取り去ってくださいました。あなたは私を再び完全にしてくださいました。罪悪感からの解放が、あなたが私に与えてくれた唯一のものだとしても、それはあなたの足元にひれ伏すのに十分な理由でしょう。あなたへの感謝と愛を表現し尽くす言葉がありません。

さて、私のマインドの状態についてもう少しお話ししましょう。私はもはや、思考をウサギの穴にまで追いかけては行くことはしません。ただ単にそれを認めるだけです。もしそれに対して行動する必要があれば、そうします。でも、たいていの場合、それは行動を必要としないただの考えです。私は今この瞬間をあまりに簡単に感じてしまうので、時には、今にとらわれて頼りなくなってしまうこともあります。そして突然、しなければならないことすべてにたいして、十分な時間とエネルギーが私にはあるようにみえてきます。以前は、一日のやることリストを眺めては、それを考えるだけで、疲れてしまっていました。今は小さな子供のように、その日への期待でいっぱいになって目が覚めます。もうその日が怖くなることはありません。自分の仕事、家族、そして周囲の環境につながりを感じ、わくわくしています。

私は木々や鳥のさえずりに恋をしています。いたるところで鳥を見かけます。私は車道で立ち止まり、月と星に挨拶をします。「この美しい夜をありがとう!」。 空に向かって叫びます。「空気と草とウサギと虫をありがとう!」。何もかもすべてがあまりにも美しいのです。以前は家に帰ると、デッキのペンキの欠けや、修理が必要なトリムを見て、しなければならないことに対して心配を感じていました。今は、我が家という素晴らしい隠れ家に感謝する気持ちしかありません。常に歓迎をしてくれて、慣れ親しんだ場所であり、あらゆる木切れや石に驚嘆の念を覚えます。屋外のシャワーもあります! ありがとうございます、シュリ・アンマ バガヴァン!生涯ずっと外でシャワーを浴びたいと思っていたのですが、あなたのおかげで義理の息子にお願いして設置を手伝ってもらうことができました。私たちはセメントと建設に一緒に取り組み、この日は私にとって人生で最高の日のひとつとなりました。すべては、あなたの教えとプロセスのおかげで、助けを求めることができたからです。

このようなことは小さなことのように思えるかもしれませんが、小さなことが大きなことなのだと今ではわかります。「感謝していることをすべて書き出してください。手に持っているペンを使って始めてください」、テジャサはある教えの中で私たちにそう指示しました。私は手の中のペンと、ハートの中のシュリ・アンマバガヴァンと大いなる慈悲の光に感謝しています!私を苦しみと裁きの場から救い出し、愛と喜びとワンネスに満ちた人生を与えてくださってありがとうございます。あなたの愛の抱擁に抱かれていることをとても幸運に感じています、そしてあなたが私たちと共にいてゴールデン・エイジへと私たちを導くためにこの地球に遣わされたのと同じ時に、私がこの惑星にいることに感謝しています。シュリ・アンマバガヴァン、愛しています。

あなたの忠実なしもべ、
キャシー・アスプデン


(訳者:松山)

本日の写真

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体験の朗読

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