悟りの体験(アートマ・サクシャッカーラ)
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ナマステ
月が完全な輝きを放っているように、次にご紹介するのは私の信奉の証です。
最愛のシュリ アンマバガヴァン
私はこの56年間、旅を続けてきました。
私はいつも「(聖なる)存在」に気づいていました。子供の頃からです。自分の内側の最も本質的な核心には 私を引き寄せる何かがありました。キリストの福音(キリスト教の聖典の核心)を聴きながら、源から語りかける「人」がいることを知っていました。私は自分のコミュニティーの中で、司祭や教師たちに同じ声を聴こうと話しかけましたが、同じ声はありませんでした。
ロンドンに移ったとき、私にとってのまったく新しい世界が開かれました。ヨガや瞑想による、まったく新しい世界です。
ある人がマスターの録音テープをくれたのは、ヨガのリトリートでした。
長い年月を経て、まさにその最初の言葉から、私はキリストと同じメッセージを語る「人」を見つけたのです。
私は2年間インドを旅して暮らしていました。この聖なる土地が与えてくれるすべての祝福に浸りながら…
自分自身が(聖なる)存在に浸りながら…
それは1978年のことでした。そして、私の探求は続きます。
そして最終的には、その後
42年間かけてワンネスに到達しました。
ちょうど2年ほど前です。
それは奇跡的としか言いようがありません。
私の進歩はゆっくりで緩やかなものでしたが、ワンネスによって加速しました。
「悟りはみんなのためのものです。たとえ低の中の最低での人であってもです。」とあなたがおっしゃったのを聞きました。私は以前 それを何度も聞いたことがありますが、あなたがそうおっしゃったとき、それが私にとって生き生きとしたものになりました。さらに、「悟りというのは簡単です。すぐにとりかかってください。」とおっしゃったとき、再びそれが私にとって生き生きとしたものになったのです。
私はずっと悟りというものは
私のような惨めな者のためではなく、遠くから偶像化され、崇拝されるべきもののように思っていました。さもなくば、マインドがそのように私に信じさせていました。そうしたお言葉で、それによって悟りというものが普通のものにまで落とし込まれました。悟りが極めて普通のものになったのです。
それから、ソーマの登場よってさらに加速しました。
現象 説明がつきません。 知ることもできません。
初期のオンラインのソーマ セッションで、アンマが部屋に入って来られ、そこにいるみんなの両肩に両手を置かれ、私の後ろにも来て立って私の両肩にも両手を置かれました。それから、シュリ バガヴンが金色のオーブと共に入って来られ、それを私の目の前の地面に置かれました。すると、金色の光が広がり、白く輝く光に変わり、部屋全体を包み込みました。
ヒンズー教寺院での別のソーマのイベントでは、批判的な仮面をかぶっているマインドが天使の仮面へと移行しようとするのを観察しました。私は蠢く蛇のようなそのマインドをつかむことができました。するとすぐにそれは降伏しました。それ以来 マインドは下僕となりました。
それから、1年ほど前の別のソーマイベントでは、あなたが私の左側の隣に現れ、左腕を振って部屋全体を包み込んでくださいました。そして、「このすべてを見てください。これはすべて幻想です。」とおっしゃいました。
それと共に幻想は消えました。私は消えました。あなたは消えました。そして私の存在の内側で途方もない自由が湧き上がりました。そして、今も残っています。すべての恐れ、判断、嫉妬、欲望、比較、苦しみが消えてなくなりました。人生の流れの中にただ存在する悦び、感謝、愛、受容、そして自由に取って代わられたのです。
これに続いて、私の外側の世界は危機に次ぐ危機に見舞われました。けれども、私はそれをすべて目撃しながら、動じることなく落ち着いていました。それはまるで嵐の中の船のようで、次から次へと波が甲板に打ち寄せてきました。それでも私は、自分の意識を自分の航路にしっかりと保ち続けました。やがて穏やかな海が戻り、太陽が明るく輝き、すべてが完璧な調和の中にありました。
私はその時、この「地上の地獄」が私の状態が永続的であるかどうかを確認するためのテストであったことに気づきました。
最近、ダルシャンで地獄を訪れる必要性についてお話されたとき、そのダルシャンの後、すぐに眠ってしまいました。現地時間の午後11時だったからです。
そして、眠りから目覚めたとき、私はビジョンを見ました。昼間のように鮮明でした。このビジョンの中で、私は地獄の施設を案内されていました。高いプラットフォームの上を歩きながら、私たちは刑務所の庭を見渡しました。そこには囚人たちが一列に並び、看守たちが行ったり来たりしていました。やがて、彼らは一人を捕まえて、彼を約25メートル先の石の祭壇まで引きずっていきました。そして、彼らはその囚人を虐殺し始めました。
私は囚人たちが何を考えているかに気づきました。「私を選ばないでください。どうか私を選ばないでください。」その後、看守たちは残っている囚人たちに近づいて、「逃げようとするな。これがお前たちの運命なんだから。」と言いました。それが囚人たちの心に希望を生み出しました。そして、一人が逃げ出しましたが、刑務所の向こうには何もないことがわかっただけでした。それはまるで広大な空虚の中に浮かぶ島のようでした。それから、看守たちがその囚人たちを捕まえました。希望は消えてしまいました。彼らは再び囚人たちを刑務所に降ろしましたが、祭壇の上で別の囚人を切り刻んで、その肉をどうやったら食べられるか、どうやったら調理できるかを話している2人の囚人がいるだけで、そこには看守はいませんでした。そしてそれとともに、拷問の第三段階が降りてきました。それは、次は自分たちだと知るという完全な絶望でした。
しばらくの間、この意識に浸っていました。私はこれはどこか別の場所にあるものではなく、ここにあるものだと理解しました。これが人類が経験していることなのです。
人類が目覚める必要があることは明らかでした。これまでの間ずっと、私の焦点は自分の目覚めにありましたが、今それが人類の目覚めへとシフトしたのです。
デヴァイン(聖なる存在)の贈り物を受け取ってください。
旅は続きます。最近、私は何かが足りないと感じていました。それは信頼と委ねでした。そして、それと共に「私」も分離もなくなりました。自由意志もありません。言うべきことも、するべきこともありません。
あなた方の恩寵により、楽に目的を持って旅が続きます。
永遠の感謝を込めて
あなた方の謙虚なしもべ
アヴルバクタ
(フィリップ リーヒル)
感謝の気持ちを胸に 旅は続きます。
(訳者:中島)
本日の写真
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体験の朗読
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